2009年03月26日

岡山到着。

無線LANの傍受とか邪なことを考えていたわけですがそんなものは検出されませんでした。4月18日までネット環境がありません。まる。

取り敢えず付近をうろついて来ます。古本市場があったなぁ、そう言えば。
posted by 辰田 at 17:45| 大阪 晴れ| Comment(2) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月18日

本雑記は移転いたしました。

2008年末をもって、通常雑記としての本ブログの更新は一時停止いたしました。
現在はHTML版雑記ページにて更新しています。
(ブログ移転以前と同じアドレスです)

今後ともよろしくお願いいたします。


メール投稿できる利便性はありますので、出先での短文雑記用として本ブログは更新を継続する予定です。
posted by 辰田 at 14:02| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 事務連絡 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月31日

新年を待つ。

081231_2353~01.jpg毎年恒例の近所の神社前にて、新年を待ってます。

年末をもちまして、一旦このブログは休止します。以前のHTML版に戻します。
来年もよろしくお願いいたします。
posted by 辰田 at 23:57| 大阪 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年、1年間ありがとうございました。

 平成20年、2008年もいよいよ終わりを迎えようとしてます。まぁ毎年恒例ですが今年の色々な思い出を総括してみようかなと。というのか学生最後の年末ということでもっと長いスパンでの総括になりますが。今までに書いた繰り返しみたいなものが多くなりますが、年末総括なので。

 まぁ、まずは学校のことでしょうか。
 ――ええ。修了できなかったわけです。端的に言えばそうなる。何を言ってみたところで事実は事実として謙虚に受け止めるしかない。制度上はもう1年留年することは可能でしたが、経済的な問題よりも何よりも、私がこれ以上堪えられなかった。そして、あと1年行ったところで、残った単位が取れるとは思えなかった。
 実家に帰って1ヶ月経つわけですが、改めてあの大阪時代の暗黒っぷりを思います。……少なくとも私には自分の全てが否定された日々だったわけで。それまではまぁ自分はそれなりに頭のいい位置にいたわけで、ところが大阪ではもう、「落ちこぼれ」というレッテルを貼られて過ごすしかなかった。講義で当てられてやっとのことで答えてそれすらずれていて、「あいつだから仕方ないな」という眼で見られる。蔑まれる方がまだ良かった。……そして、そこから最後まで脱出できなかった。

 国T最終合格という思い出も出来ました。駄目元で願書だけ出してみて。1次は――偉そうな言い方になりますが――教養科目は点が取れるので、そこで稼げば受かるとは思ってました。しかし実のところ、それも前年度より悪い点だった。
 で、玉砕するつもりで受けた二次試験。しかし、去年はもう全然書けずに投げ出すように途中退出したはずの法律論文試験で、何故かびっしりと書けた。結局途中退出せずに時間いっぱいまで懸命に書いていた。全然駄目なことが最初から分かっていた民法は、得意分野のネットフィルタリング問題を題材にしていた公共政策に飛び込んだ。公共政策なんてちゃんと勉強したことは一度もなかったわけで、完全にギャンブルでした。
 そして、6月24日の夜10時過ぎ――都営地下鉄人形町駅の改札に、佇む私。
 本音を言えば、もしかしたら、という程度の自信はありました。
 あの日の朝、眠たい眼で確かめた合格者番号一覧に自分の番号を見つけた時、真っ先に訪れたのは喜びでも驚愕でもなく、戸惑いでした。本当に受かってしまった、どうしよう、と。

 今でも涙が出て来ますよ。
 難関の試験に受かったことだとか、国家公務員になれるかもしれない、という想いじゃなかったです。
 ――すっかり落ちこぼれに成り果てて、成績もどん底で上を目指せる見込みなんて見当も付かなくて、ぼろぼろだった自分。
 そんな自分が、国Tの官庁訪問なんて高い場所にいられるなんて。その場所にいられるのが自分でも信じられなくて。スーツを着て霞ヶ関にいるのが信じられなくて。
 ええ。本当は違いますよ。これから官庁の内定を得て、翌年に働き始めることが出来て、その時に初めて持つべき感慨だったとは分かってます。
 でも、光の届かない底辺にいた自分が。
 海の底から一気に日光の煌めく海面にすくい上げてもらえたような。それが何よりも嬉しくて、眩しくて。

 結局、結果は出せませんでしたけど。
 東京で過ごした10日間のことは忘れられない。本当に夢を見ていたような日々。
 少しずつ気持ちを取り戻して、もう一度あんな輝く場所に立てるといいなと思います。

 そして。
 それだけの想いを抱えて、ようやく光が差し掛けたその時に、必修科目担当のM教授はあっさりと私の単位を落としたのでした……。

 悪口を書けばきりがありません。理屈をこねくり回すだけで実際に役立つと思えないような、そして皆に分かるようにという気持ちのない講義。でも、実際にほとんどの人は単位を取って修了しているのは事実です。
 最後まで自分を否定することしかなかったこの世界に、私は二度と戻ることはないと思ってます。父親は今でも、私が司法の道に進むことを夢見ているようですが……。取り敢えず会社で頑張って、仕事の方できちんと結果を出して、そしてもう戻らないと宣言しようと思ってます。
 地獄には帰らない。

 そして、就職。
 何とか内定を頂きました。正直、就職活動を始めた段階では名前も知らなかったような会社。他の会社をどれだけ受けても落とされ続けたというのに、最初は何となく受けてみて――そしてとんとん拍子で内定が出て。
 本当に決めていいのか、迷いがなかったとは言いません。
 でも、この縁を信じてみたかった。まぁ正直、来年春で28歳の私を採用してくれる会社がそうそうあるとも思えませんでしたし……。
 来年春からはSEです。しすてむえんじにあです。

 本音、法学の方はまだどうなるか分かりません。
 私がどれだけ嫌がろうとも、今までの経歴は付いてきますし、それを否定して生きていくことなんて出来ませんから。年を喰った私を採用した理由の一つとしてそれへの期待もあったんじゃないかとは思います。
 法律なんてもう触れたくもないけど。こればかりは――甘受していくしかない。私としては、SEでちゃんと頑張って、そちらで皆に満足のいく成果を挙げたいと思っていますが。

 親はここで捨てたら5年間なんだったんだと言います。
 本当は私は答えを持っている。道を間違えた日々です。唾棄すべき日々です。その期間に出会った人のことは本当に大切に思っていますが、でも選んだ道は間違っていたと言わざるを得ません。
 失ったものは限りなく。得たものなんてひとつもなく。
 これ以上この地獄からの夢喰い虫に引きずられてたまるものか。やっと、やっと解放されたんだから。

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 毎年紅白は見ている人間なのですが、今年はワンセグ携帯を置いて横目に見ながらこの文章を書いてます。

 今年は元カノさんにも年賀状を送りました。

 大阪にいたころいちばん辛かったのは孤独で。
 京都の5年間で手に入れたものを何もかも失って、その中でいちばん象徴的で大きかったものがコイビトだった、というのはこの雑記で飽きるほど書いた話です。
 最後の方は私の未熟さから彼女にも少し酷いことをしたなと思うのですが。でも、それ以前に――根本的に、彼女の気持ちは私から離れていた。それは事実で。彼はゆっくりと、彼女の気持ちを私から奪い取っていった。本当に好きで一緒にいたはずなのに、いつしか彼女が私と過ごす時間は義理になっていて、私が彼女を想う気持ちは拘束になっていて。
 あの日あの時、ということを考えても、今の彼と彼女の関係を思うと、早かれ遅かれ同じ事になったんだろうなと思います。そしてそれは距離の差でもあったわけで……。

 ともかくも私は辛い時の支えを失い、そこからコイビトを探す日々だったわけなのです。とこの辺は去年までの話ですけどね。

 まぁ今年何があったかと言えば特段何事もなく。気になる人がいないと言えば嘘になりますがそれが恋愛に繋がるかと言えばまた別問題だ。
 取り敢えず女の子をきゅんとさせるような人間になろうとおもいます。えー。

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 長いよ。でも続きます。

 夢とか野望とかがないと父親は言うわけですが、そう簡単に夢や野望を抱けるわけもなく。私にとってはそれは法制史の研究者を目指すという悲願だったわけで、それは今となってはどうしようもないのです。何故自分はスタートラインにすら立てなかったんだろう。せめて修士の2年でもいい、本当にそれに打ち込める時間が欲しかった。これだけ願ったのに、何故それすら出来なかったんだろう。

 自分の何が間違ってたんだろう? 2003年の初夏、ローを経由しろという教授の言葉を突っぱねて、他の大学の修士課程を受けるべきだったんでしょうか? 学部で1年留年してロー制度開始を迎えてしまったのが悪かったんでしょうか?
 今でも。ちゃんと専門職じゃない大学院に行けば、それなりの成果を出せるだけの能力を自分は持っていたと思うのです。果たして研究職として食べていけるだけの能力があったのか、それは分かりませんけど。少なくとも、充分挑戦していける力を持っていたと思います。そして――結果論ですが、ローに5年間通えるだけの経済力はあったのです。

 なのに、自分がこのロースクールという屑みたいな地獄で朽ちる運命だったとすれば。そんな哀しい話はありますか?
 ロースクールが憎くて仕方がない。こんなものがなければ。ロースクールに行けなんて教授が言わなければ。もう少し開始時期がずれていて、ローの実態を分かった上で選択できれば。……全ては変わったのに。
 逆恨みと言われてもいい。自惚れと言われてもいい。ローなんてものがなければ。悔しいですよ。こんなもののせいで自分の人生が狂った。5年前に司法試験に見切りを付けていたはずなのに、ここまで付きまとう羽目になって、そして失ったものは多く、もしかしたら一生付きまとうかもしれない。
 今から私は、この呪縛から逃げるためにできる限りのことをしますが。
 もうやり直すことが出来ない年になってしまった。その後悔ばかりが胸を埋め尽くします。

 ――なんとか。
 「アカデミズムの世界の片隅でもいいから、たった一つでもいいから、自分の足跡を残していきたい」……。
 その願いだけは――これからの人生の中で何とか叶えたいです。本当に。
 まずは、自分が研究発表できる場を――どこかで、探すことができれば。

 でも、仕事を始めるとその中で埋没してしまうのかもしれませんが。全てはまだ霧の中。根拠なき展望と不安ばかりが渦巻く年末です。

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 そして今年もあと2時間を切ります。
 色々と積み重ねてきたものの全てが転機を迎える年、それが2008年でした。デフレスパイラルばかり描いて来た日々でしたが、司法試験から離れればまだまだ自分は馬鹿じゃない、という自信も得られた年であり。全てが切り替わる来年を何とか飛躍の年にできればいいな、と思います。まだ自分が馬鹿だとは思ってないので。

 最後になりましたが、このサイトと、そして小説の話を。
 「辰田淳一」としての自分はまだ諦めてません。もう一度、ここで作品を発表できるような自分に戻りたい、と常に思い続けています。
 あるいは。辰田としての活動が止まっていた時期、それは同時に研究者志望として頑張っていた時期でした。もし研究者になれるのなら、小説書きとしての自分がいなくなっても構わないと思ってました。その何年かの夢を挫折で終えざるを得なかった思い。それを小説書きとしての自分で何とかリベンジしたい、とも思っています。
 ――こう書くと、ますます研究者志望の自分が過去の遠いものになりそうで嫌なのですが。

 二十歳の頃の、夢に溢れた自分に戻りたい。
 その頃の気持ちでもう一度やり直したい。折れてしまった心を何とか接ぎ直したい。

 すっかり地味になってしまったこのサイトですが、今年も1年間見守って下さった読者の方に心からの感謝を捧げます。ありがとうございました。そして来年もよろしくお願いいたします。

 新年、ほんの少しだけサプライズありますよ?
posted by 辰田 at 22:15| 大阪 雨| Comment(1) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月20日

めんきょがほしい。

自動車学校の修検は一発で通りました。
こわかったよー。初っぱなからウインカーを忘れかけるわいきなりアクセル踏みすぎるわやばかったよー。
お昼をまたぐと言ったら母親が弁当を作ってくれました。もぐもぐ。母親の作る弁当って何故何でもおいしいんだろ。別に好物ばかり入れましたって訳でもないのに。……おふくろの味マジックですねっ。
posted by 辰田 at 13:01| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

よっぱらい。

岡山忘年会に出て帰宅中。
やっぱりリミッターを外して飲むと危険です……。かなりふらふらで鈍行で帰るので多分帰宅まで二時間近く。酔うと意識にあまり来ずに運動中枢にすぐに来るので、千鳥足を体現できます……。

終点に着くまでに酔いが少しは醒めますように?

しかし、関ヶ原越えもそうですが、県境で本数と編成が少ない所は混みますね。この時間の山陽本線は三両迄削られててソコソコ混雑。座れて良かった。
posted by 辰田 at 03:11| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月14日

『忘れないよ、君がくれた未来』

引っ越しのごたごたで携帯からPCにデータを転送するケーブルもmicroSDカードをSDカードにするためのケースも行方不明になっていたのですが、取り敢えず今日ケースの方を買ってきました。50円。

と言うわけでようやく写真を転送することが出来ます。

私の世代にとっては新幹線と言えばまだあおいひかりのちょうとっきゅうだったわけで。びゅわーんびゅわーん。小さい頃にようやく二階建て新幹線こと100系が登場したわけで、とんがった精悍な顔と二階建て車両はかっこいいなと思ったものですが。(――その二階建て車両も今は亡く)

それでも、新幹線と言えば丸い顔をした0系でしたし。(・○・)こんな。

……今は、もう走っていません。
11月30日、定期運行終了。そしてその後、土日ごとに臨時のひかりとして走って、12月14日、新大阪発博多行き、ひかり347号をもって全運用終了。

結局、定期運用のこだまには会いに行かなかったのですが。
12月の臨時列車のうち、最終日14日の上り、ひかり340号だけが、姫路駅に停車して行くのです。
京都や大阪で暮らしたとはいえ、やっぱり自分にとっていちばん見送りたい場所は姫路駅でした(と言うのか、京都に5年間暮らしていたのに京都駅の新幹線ホームを使ったことが一度もない事実……)。

と言うわけで、12月14日の午前11時、姫路駅に行って来ました。

ST341311.JPG

姫路駅改札口の表示。全車指定席です。これを撮影している人も何人もいました。

階段を上がって新幹線ホームに上がると、到着15分前で既にいっぱいの人。階段を上がった途端にすごい人混みが見えて、停車位置途中でこれなら先頭車付近は無理かなと一瞬思ったのですが、これは花束贈呈の壇の前のカメラの砲列でした。
ともかくも先頭車の顔が止まる付近まで行くと、何とかまだ前列に出られる状態でした。写真を撮る人はもう少し前からのアングルの方が上手く撮れるわけで、顔の目の前は逆に少し穴場だったみたいですね。私は携帯のカメラ機能しかありませんし。写真より記憶。

ST341319.JPG

そして11時29分、姫路駅に停車する最後の0系が入線して来ました……。手だけを伸ばして撮ったせいもあり、アングルがかなり上に振れてしまってますが……。
予想通り、停車位置は0系先頭車の顔の目の前でした。どのくらい近いかと言うと、あまりに近すぎて却ってちゃんと顔を収めた写真が撮れないくらい。

ST341323.JPG
で、強引に撮るとこんな感じになります。傾いてるけど、まぁ傾いたことで妙な味が出てるのでいいや。と自分の下手さは棚に上げる。

ST341329.JPG
そして鼻先が切れるほどのドアップ。
要するにケータイカメラ最大画素でこういう写真が撮れるほどの近くにいたのです。と言うのかあまりに近すぎて撮れないので、これでも体をのけぞらせて撮ってるんですよw

現場は結構子供も多かったですね。何枚かケータイで撮ったあとで、小さい子供に場所を譲って最前列に出してあげたりしました。この子たちにとっては新幹線と言えば500系とか700系なのかもしれませんが、この0系を間近で観たことをずっと覚えててくれるといいなと思います。

その間に前述の壇上では花束贈呈とかやってたはずですが、50mぐらい向こうのことなので全く知りません。人が多すぎて。
後で出た神戸新聞の記事によると1500人が詰めかけていたそうです。新大阪が3000人だったそうですから、途中駅としてはかなりの人数だったわけで。

11時34分。
長い警笛を響かせて、ひかり340号はゆっくりと走り出し……そして新大阪に向けて走り去っていきました。写真は撮ってません。目の前を走り去る姿は、ケータイの画面越しではなく自分の目で焼き付けておきたかったので。
まぁ本当は目の前を過ぎたあとに遠ざかる姿を撮ろうとしたんですが、目の前で抱き上げ直した赤ちゃんの腕が思いっきり被って何も映りませんでした(苦笑)。

行って良かったです。
“夢の超特急”を最後に見送ることが出来て良かったです。

ST341336.JPG
ちなみに新幹線コンコースにはこんなのもいるわけで、0系撮りに来た人が何人かついでに撮ってました(えーオチそれ?)
posted by 辰田 at 00:00| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月13日

つれづれつれづれ。

何気なくアクセス解析を久しぶりに見てたんですが、「銭湯ショタイラストサイト」で検索してこのブログに来たのは誰ですかw ……引っ掛かるんだ。

自動車学校に数日前から行き始めました。
……やべー本当に運転できるようになるのか私。外周コースで脱輪する人は珍しいとか言われちゃいましたよ……。ともかく免許取っておかないと、仕事で使う可能性もありますしね。自分の車は当分は買わないと思うんですが。車一台を持つランニングコストを考えても。

で、学科の授業でDVDを見せられたのですが、その時に出てくる安全地帯のない路面電車の映像がどう見ても名鉄美濃町線のモ870形ですどうもありがとうございました。今は亡き。札幌に残ったA830形を含めて1両も保存車がないんですねぇ……。

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橋本紡に最近ちょっとはまり気味です。主として「毛布おばけと金曜日の階段」以降ですが。特に実家住まいの現状では金銭的余裕がないのでほとんど市立図書館ですが……。

図書館のカードを作りに行ったら(と言うより、復活させに行ったら)司書さんに声を掛けられました。小学生の頃は通い詰めていたのですっかり顔を覚えられているのです(苦笑)。――私が文庫以外をあまり買わないのって、市立図書館が至近距離にあったからってのが結構大きいんですよね。まさに図書館が自分の本棚だった。日曜日の朝に当時の限度いっぱいの4冊借りて、夕方までに読んで返却してもう4冊借りた、なんてこともありましたから。

特に最近はすることが少ないので本ばかり読んでます。ちょっと実用書も読むようにしてるんですけど。
posted by 辰田 at 01:12| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月11日

遠ざかる記憶。

箕面から引っ越して来てから半月も経っていないのに、既にあそこで生活した日々が遠い昔のように思えるのです。
――昔、と言うのは語弊があるのですが。
京都にいた2003年までのことは今でも鮮明に思い出すのに、大阪で過ごした日々は早くも夢まぼろしの如くに思えるのです。記憶が薄れているわけじゃありません。色々なことは今でも鮮明に覚えてます。その一つ一つは今書くべきことでもありませんけど(――そんな時間もないですし)。でも、それは現実と断絶された、どこか遠い世界のことのように思える。

どこか遠い世界に飛ばされて、ようやく戻って来れたような。

ロースクールという世界が存在して、今もその中でたくさんの人たちが過ごしているのです。
ほんの少し前までは自分もその世界の住人であったはずなんですが。
もう、それが嘘のように思えます。あの世界に自分がいたことが。

いくら考え直しても、自分にとって大阪にいた期間は――ついでに言えば、精神状態が悪くなり始めた京都時代最後の半年も――まさしく失われた闇の5年であって。
出来れば修了という形でここを抜け出したかったですし、その一心で辛い思いを続けてきたわけですけど……。もう下宿も完全に引き上げて離れてしまった今、あの世界に戻りたいかと言えば(まだ休学中なので戻ることは可能です)、二度と戻りたくない、という想いしか湧きません。少なくとも今は。

もう一つ。
ロースクールを離れたことは同時に、ローを修了する唯一最大の積極的な意味だったこと……ずっと抱いてきた研究者への想いへの整理でもあります。訣別とは、まだ言えないけど。
長い間自分が夢見てきて、ローを出ることで微かにでも繋がるはずだった未来。ぼろぼろの精神状態の中で、悔しくて、切なくて、何とか届きたくて、ずっと涙し続けていた想い。誰に何と言われようとも、自分にとってはそれは捨てきれない想いであり、あの地獄に残るための支えとなる唯一の柱でした。もちろん就活の中でそれは捨てる覚悟でしたけど、それでもずっと残り続けた想いでした。
就活の最中にも何度もその想いが胸を掠めて。自分が本当に目指したい場所はここなのか、と自問することもありました。研究側の大学院に進学できるのなら、悪魔に魂を売っても構わなかった。死後に地獄送りにされたって構わなかった。

大阪から離れると同時に。
最後の最後まで、どんなに抜け殻になっても、ずっと抱き締め続けていた、その想いは――取り敢えず、整理はつきました。捨てられないけど、整理しました。

5年前にローがなかったら、という仮定だけは一生抱き続けるんでしょう。私にとってロー進学を決断した理由は、研究職への道というただその一点だけでしたし。
ローが出来るのがもう少し遅かったら。もしくは逆にもう少し早く出来ていて、1期生ではなく、ローの実情を知ってから選べる立場にいたら。きっと今の位置にはいなかったはずです。

失われた5年。病んだ心はもう一度少しずつ立て直すことは出来るかもしれませんけど、この5年の間に失った時間も、夢も、可能性も、何もかも、取り戻すことは出来ません。

前に歩いていく気持ちにはようやく辿り着けた気がするけど。

一生抱き続けるんだろうなぁ。
posted by 辰田 at 21:33| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月04日

ひっこし。

やっと落ち着いて来ましたので。

先月末に下宿を引き払って実家に戻りました。来年春まで数ヶ月ですが久しぶりに親と暮らしてます。

電車は15分に1本来ます。朝夕はもう少し多いかな。無人駅ですが駅売店が出来て最近は朝だけ開くそうです。
そんな町の中心付近で暮らしてます。コンビニ2つと駅と役所と都銀と信用金庫2つと図書館と小学校と某大型電器店が全部徒歩五分圏内。まごう事なき田舎町ですが(特に土地柄が凄まじく田舎です、じゃないと自治会で巨大な祭りを運営できませんw)、便利な土地だとは思います。特に駅に近いのは有りがたいですね。
ああ、あと徒歩圏の漁港で釣糸を垂らすと結構釣れますよ。

で、土地柄が田舎ということはご近所の目はけっこう気になります(苦笑)。一応就職を決めて帰ってますが、大学院をやめて帰ってきた身ですから……。

そして両親は……と言うのかはっきり言えば父親ですが、ひどく口うるさいしくどいのです。基本的には尊敬できる父親なんですが、疲れるのは否めない(苦笑)。

しかし長い人生を考えると、親と同居する最後の機会になる可能性もあるわけで……。親孝行したい時にはなんとやら。うーん。
まだ迷惑かけてる側だなぁ。就職したらたっぷり孝行しないと。

まぁとにかく、大阪で疲れはてた心をリフレッシュして入社を迎えたいです。
posted by 辰田 at 19:27| 大阪 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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